赤い花

 

「・・・オイ、人の上で煙草吸うなよ。灰が落ちてくるじゃねェか・・・・・・」

 

月のない夜の海は不気味なほど暗く遠く静かで、たった1つの壊れかけたランプの淡い光だけがおれ達を優しく包み込んでいた。

そして今夜のこの人の悪態は、幼い子供のように頼りなく、愛しいまでに切なかった―――・・・・・・

「だったらちゃんと自分の部屋行って自分のベッドで寝りゃいいだろ」

それでもおれは慰めの言葉などかけることは出来ない。
この人が必要としているのはそんなものではないのだ。

「何処で寝ようとおれの勝手だろ」

シャンクスはおれの膝に頭を乗せたままそう言い放ち、火を点けたばかりの煙草を奪い去ると自分でもそれを1度吸い込んでから、すぐに揉み消してしまった。

床に伸ばされたその右腕には、まだ真新しい包帯がしっかりと巻かれている。

―――雨はもう止んだのだろうか?

窓ガラスを叩く音がいつの間にか聞こえなくなっていた。

おれはそっと息を吐いてから、シャンクスに視線を戻す。

静かな夜の沈黙は永遠に続きそうだった。
この人が泣き出すんじゃないかと、そんなバカなことを思いながら、おれは無理矢理にでも沈黙を破ることしかできなかった。

「いつまで持ってる気だ?・・・それ」

額に乗せたままのシャンクスの左手には、昼間からずっと赤い花が握られていた。

シャンクスは答えない。
目を開けようともせず、ただじっと時が過ぎるのを耐えているようだった。

―――この人が生きていてよかった

あの時

真っ先にそう思ったおれを、この人は軽蔑するだろうか?

一体命の重さとは何だ?
比べるものではない。だが、おれにとってこの人の命は何よりも大事なのだ。

 

―――今日、おれ達は仲間の1人を失った。

まだ18にもなっていなかったその男は、いつもニコニコと笑っているような奴で、この海賊団に入ってまだ1年という見習いの1人だった。

シャンクスを尊敬する態度はまるで神でも崇めるように深いもので、その左腕には3本傷のドクロが誇らしげに彫り込まれていた。

とにかく呆れるくらい素直で、そして・・・優しすぎる奴だった。

 

その男が死んだのだ。

この人の―――目の前で

『―――オイ、お頭。もう出航だぞ?』

『すぐ戻るって・・・ちょっと待ってろ。美味い酒を飲ませてやるから』

シャンクスはそう言って笑うと、荷物を積み込んでいるヤソップ達の間をするりと通り抜け町のほうへ歩いていった。
昔サウスブルーの何処かで飲んだという、ここでしか手に入らない珍しい酒をシャンクスはずっと探していたのだ。
もう1度その酒が飲みたいのだと、この海に入ってから行く先々で同じ酒を捜し歩いていたのだが、最果てのこの島が最後の望みだとでも言うかのように、シャンクスは出航直前まで諦めなかった。

酒場は全部行き尽くしたし、これ以上探すところなどないだろうが・・・

あの人の記憶違いか、それとももう作られていないのか―――
ただ、賞金首だという自覚がないのも、止めても無駄だということも誰よりも判っていたおれはライフルを手に後を追おうと船を降りた。

『―――副船長!いいっすよ、おれが行きますから。お頭も副船長もいなくなったらおれたちが困りますって』

あいつはおれを引き止めると、そのままシャンクスを追いかけて走り出した。

『生意気な口叩くようになったじゃねェの。おれ達じゃ頼りないとよ、ルウ』
ヤソップがルウの風船のような腹に軽くパンチを入れ楽しそうに笑った。

『どうしたベックマン、そんなに心配ならあんたも行っていいんだぜ?』

ニヤリと見透かすように笑ったヤソップを無視して、小さくなる2人の背中を見届けてから、おれは縄梯子に足を掛けた。

―――何故あの時おれも一緒に行かなかったのだろう・・・

悪い予感ほど当たるものだ。

その時確かにおれはぞっとするような胸騒ぎを感じていたにも関わらず、不安を打ち消すように吸い慣れた煙草に火を点けると、今にも降りだしそうな灰色の空に向かってゆっくりと紫煙を吐き出した。

―――3発の銃声が聞こえたのは、それから少し経ってからだった。

それを待っていたかのように、憂鬱になるほど重く広がった雨雲から次々と細かい粒が落ちてきた。

おれは煙草を吐き捨て船を飛び降りた。

悪い予感ほど―――当たるものだ・・・

駆けつけたおれの目に先ず映ったのは
不自然に赤く染まった花を手にした、シャンクスの後ろ姿だった。

そして少し離れたところには数人の男が明らかに絶命しているのが判った。
おれはそれを見て軽く舌打ちをした。
賞金稼ぎはこの機会を狙っていたのだ。

『おい、シャンクス!』

立ち尽くしたまま動かないシャンクスに駆け寄る。
白いシャツには嫌というほど返り血を浴び、右腕からは自らの血を滴らせていた。

すぐ傍の道端の花も鮮血を吸い純白の白から鈍い赤へと染まっていた。
雨に濡れていく赤い花はもうその色を変えることなく、むしろより一層妖しさを増して優雅に咲き続けていた。

シャンクスの長剣は地面に突き刺さったままで、黒のロングジャケットは足元に落ちて―――いるように見えた・・・・・・

漸く追いついたヤソップたちがそれを見て一瞬息を呑んだのが判った。
赤い花を握り締めるシャンクスの左手が微かに震えていた。

雨は次第にその激しさを増していく。
おれは低い空を見上げて目を閉じた。

そのロングジャケットの下からのぞく左腕には

3本傷のドクロがはっきりと、彫られていた―――・・・・・・

『バカだな・・・おれは』

あの人は花を握り締めたまま振り返ると、悲痛なまでの声で呟き力なく笑った。
そして長剣を鞘に収め、そのまま振り向きもせず静かに歩き出した。

怒りなのか哀しみなのか・・・絶望なのか―――

雨に煙る緩やかな道を行くあの人から、嗚咽が聞こえたような気がした。

「なァ・・・ベックマン・・・・・・」

永遠に続くかと思うほどの哀しい沈黙を破ったのは、それ以上に哀しい声色だった。

「なんだ?」

「おまえは、何処にも行くんじゃねェぞ・・・」

本当にこの人はずるい―――・・・・・・

自分が欲しい言葉だけをいつもおれに言わせようとする

そしてその言葉を躊躇なく口にする自分は、どこまでも愚かなのだろう・・・

この人が望むものを、おれもまた欲しているのだ―・・・

「―――あんたが飽きるまでいるさ、おれは」

シャンクスは目を閉じたまま、唇の端を少し上げた。

「やっぱりおまえは・・・物好きだな」

―――あんたほどじゃない

そう言おうとして、おれは既にシャンクスが静かな寝息を立て始めていることに気付いた。

おれはこの人の血よりも鮮やかな赤い髪にそっと触れる。

―――夜が明ければまたこの人の笑顔が見られるだろうか

赤い花を握り締めたまま眠るシャンクスをベッドに寝かせ、おれは煙草を取り出した。
今にも消え入りそうなランプに手を伸ばし火を点ける。

紫煙と共に血の匂いが混じる淀んだ空気を追い払うように、軋む窓を静かに開け放つと、代わりに雨の匂いが残る纏わりつくような風が入り込んできた。

雲の切れ間からは星がのぞいていた。

おれはシャンクスの幼い寝顔を見つめながら思う。

―――早く朝が来ればいい・・・と

それは、願いというより―――祈りにも近かった。

 

-END-

 

 

 

 

時代背景としてはルフィと出逢う前、
シャンクスが25くらいの時を想定してます
で、このあとイーストブルーに向けて出航したのではないかと・・・

何気に副シャンしてるあたりが直椋の好きな2人なんですが(笑)
たまには弱りシャンクスも如何なもんでしょう
(・・・あ、直椋が書くのはそんなんばっかりか)

up 2002/05/19