花宵ーはなよいー

 

―――人を狂わせるのは、月の光だけじゃねェんだな

 

おれは、タバコを吸うのも忘れ
眩暈がするほど舞い続ける花びらの中に立つあの人に、意識を奪われていた。

湧き上がる感情は、もう押さえきれないほどおれのすべてを支配している。

こんなにも烈しく誰かを欲しいと思ったことはなかった。

今まではそう思う前に自分で気持ちを押さえ付けていた。

 

―――これ以上深入りしねェ方がいい・・・

 

自分を見失いそうで、無意識のうちにいつもそうやって虚勢を張っていた。

誰かに心を奪われるのが嫌だった。

そういう感情を煩わしいと思っていた。

もう――背を向けられるのは、2度とごめんだ。

繋いだ手を離されるぐらいなら、最初から欲しがらなければいいと・・・

だから他人と関わる時は理性で自分を縛り付けていた。

惚れた相手にさえそうなのだ。

踏み込めない自分を嘲笑いながら、他人を抱いても、いつも空虚感だけが、満たされない心に居座り続けた。

 

そして結局――最後には皆、同じ顔でこう言うのだ。

 

―――あんたは独りで生きればいい

 

哀れみとおれ以上の疎外感、微かな嫉妬

最初から繋がれていなかった手を振り解くことなど、引き金を引くより簡単なことだった。

だからおれはいつものセリフを諦めたように、笑いながら答える。

 

―――ああ、まったくだ

 

それでもまだ――
温もりを欲するのは、記憶の何処かに他人の温かさを憶えているからなのか。

独りで生きられればどんなに楽か

忘れることもできず、無邪気に触れ合えるほど子供でもない

なのに、まだ、こうして誰かを求める・・・

そしてまた、傷つける

 

―――見てみたいもんだな、おまえが心底幸せそうに笑う顔を・・・

もうおぼろげにしか思い出せない、いつか出会った誰かのセリフを思い出す。

あの時おれはなんと答えただろう?

そんなことは有り得ないと、半分本気で言い捨てたに違いない。

この世には、“絶対”なんてものはないと、知っていながら―・・・

「―――なんだよ、おまえ・・・声ぐらいかけろよな」

見渡す限り咲き誇る桜を仰ぎ見ていたシャンクスは、漸くおれに気が付き笑いながら口を開いた。
時間が止まったようなあの不思議な感覚は一瞬で消え去り、おれはそれを少しだけ残念に思う。

 

「しょうがねェだろ、あんたに見惚れてたんだから――」

「は、何言ってんだ・・・おまえは」

 

シャンクスは呆れた様に笑うとおれの方に足音も立てず近づいてきた。

「宴を抜け出して何処に行くのかと思えば・・・
このまま花びらに埋もれるつもりだったのか?」

おれは手を伸ばすと、ここではあまりにも鮮やかに見えるこの人の赤い髪から、薄紅色の花びらを優しく払いのけた。

「それも悪くねェな」

冗談とも本気とも取れない声色でシャンクスは答え、微笑んだまま満開の桜を見上げる。

グランドラインに入ってこれがいくつ目の島かすぐには思い出せないが、少なくともこれほどまでに見事な桜を見たのは今回が初めてだった。

ほんの数日前に「桜が見たい」と一人呟いていたシャンクスにとっては、まさに絶好のタイミングだったとはいえ、未知の気候が折り重なるグランドラインでの、この驚異的な偶然に船員の誰もがシャンクスの強運に言葉を失っていた。

しかし当の本人はピンク色に染まる島が見えたと同時に子どものようにはしゃぎまわり、錨を下ろす時にはすでに相当酔っ払っていたのだ。

だから、誰よりもあんなに見たがっていた桜をこの人が観られたのは、この島について半日もすぎてからだった。

「・・・いくら見ていても飽きねェな」

ガキみたいに嬉しそうに微笑む。

「酒に酔って、花にまで酔って、いつになったら宴も終わるんだか・・・」

連中のバカ騒ぎが風に乗って耳に届いた。
おれはため息交じりに宵闇の空へ紫煙を吐き出す。

「いいじゃねェか、キレイなんだから」

確かにキレイだ・・・

―――だけど

「散ってる時が一番キレイなんて・・・何だか淋しい気も―――」

満足げに桜を眺めているシャンクスを横目に無意識におれがそう呟くと、シャンクスは一瞬きょとんとした顔をしてから、おれを見て笑った。

「何言ってんだ・・・違うよ」

「なにが・・・?」

シャンクスは足元の麦わらをゆっくりと拾い上げる。

そしてもう1度夕闇に映える桜を眺め、穏やかな瞳でおれを見つめた。

 

「散ってる時までキレイなんて、すごいと思わねェか?」

 

宵闇の空気を匂わせる、少しだけ冷たい風がおれ達の間を吹き抜けていった。

風に乗った花びらでシャンクスの笑顔が霞む

時間が、やけにゆっくりと流れる

花びらは惜しげもなく舞い落ちる・・・

 

―――それは

幻想的なまでに・・・息を呑むほど、美しい光景だった

 

「・・・確かに、スゲェ・・・な」

おれは渇いた唇で、それだけを答える。

そして漸く気付くのだった。

もう手遅れだと―――・・・

おれの心はとっくにこの人のモノだ

 

「なに笑ってんだ?」

「いや・・・何でもねェよ」

おれは照れ隠しに新しいタバコを取り出して火を点けた。
シャンクスは訝しげな顔をしたが大して気にもせず、すぐに桜へ視線を戻す。

 

そうだ・・・

もう手遅れなのだ

気付かないフリも、曖昧にしていた感情も、この人には通用しない。

おれを満たすのも、渇えさせるのも

この人だけだから――・・・

 

低い位置にある月に照らされて、青白く輝く花びらは

雪のように、音もなく舞い続けている

おれは安堵感にも似た恋情を抱いたまま

シャンクスの髪に、そっと、触れた―――

 

 

-END-